阪神淡路大震災の時
僕はまだ幼児で、記憶も全くない。 ただいろいろな話を後から聞いている、それだけ。 新潟中越地震の時 たぶん小学生だった。 時事問題としても載ってた気がするから受験の年かな。 記憶はある、でも観た記憶。 影響は特に何も受けなかったし、僕自身は何もしなかった。 一昨日、2011年3月11日 東日本大震災 東北地方太平洋沖大地震 いろいろと名称はあれど、大地震がおきましたね。 今回は体験した。 揺れの時は、いつも通り大したことないと思ったがそうではなかった。 帰宅出来ない友人を預かった。 妹が丸一日経つまで帰って来れなかった(本人はケロッとしてるが)。 被害の大きいところに親族がいて未だ連絡が取れてない知り合いもいる。 自分には何が出来るだろう。 マスコミの人たち程は当然ながら、 著名人のtwitterみたいにたくさんの人に情報を伝えることも出来ない。 専門的な知識でアドバイスも出来ない。 絵を描いたり歌を歌ったり面白い事言ったりして励ますことも出来ない。 物理的な救助なんか以ての外。 結局できることは 節電と、募金と、祈り。 そのくらいかな。 でも今回はまだ高校生だから。 そう思って気を取り直すことにした。 次の災害の時には活躍できるように、勉強することにした。 そのためにまずグチャグチャになったままの机を綺麗にする。 そしたら募金に行こう。浪人生にお金はそんなに要らない。 明日明後日の練習がどうなるかは解らないけれども、 16日の定期演奏会は予定通り行うよう。 ここではついに宣伝出来なかった。 温かみのある男声合唱で、 来て下さった人々に一瞬でも安らぎを提供できたら。 そんな思いも込めて、団員は、少なくとも僕は臨む。 被災地から離れたところにいる人が 普段の生活とか、楽しいこととか、 するのは全く悪いことではないと思うよ。 みんながみんな仏頂面して頭を抱えたくなるような話をしていたところで、 それが被災地の人の救いにはなるわけではない。 かえって必要のない不安が広まってしまうかも知れない。 やるべきこと、自分に出来ることをやったら 日常に帰っていっても、僕はいいと思う。 ↑こういうことを書きたかったんだけど 失敗して自分の体験をつらつら述べてしまった物↓ 僕は発生時学校(埼玉県志木市)にいた。 部活中で、練習を止めて外に出るくらいの揺れだった。 でも少し強いだけで大したことはないと思った。 練習は再開したし、終わる頃には僕はすっかり忘れてた。 その後電車が止まっていることを知り、 学校で止められることになったが、 その日中に復旧出来ないとは思いもよらず、 練習室に戻ってちゃっかりリズム練なんかしていた。 そして電車が終日運休になること、 学校に泊まるのは不可能ではないが布団等は無いこと(←問題だと思う)、 が解り、保護者と頑張って連絡を取るように、となった。 この時もう17時頃だったような。 遠くから来ているやつも 近くの部員の家に避難するように割り当てを決め、 19時頃には全員の行き先が決まっていたように思う。 そして順々に父母の迎えが来て 僕も20時半頃、普段なら30分で来られる所を1時間半かかって父が到着。 部員2人を連れて、途中夕飯に寄ったものの12日0時近くになってようやく帰宅。 7時過ぎ頃連絡を取り合って、当然ながら12日の練習は中止に決定。 電車の状況を見つつ、気を紛らわせるためにウチではボンバーマンやったりもしたが(笑)、 12時過ぎ頃2人を駅へ送った。 その後2人は時間はかかったけれども無事に帰宅できたよう。 14時前に、11日から横浜に遊びに行ってた妹が帰宅し家族が揃った。 それからは特に何もなく、 ただ節電のため(になったかは解らないけれども)リビングに集まって寝たりしていた。 そして夜に久しぶりにPCを付けたり。 今のところちょっとギクシャクしてるけど、 見方によってはちょっとだらけたような日常。 たくさんの人の日常が、早く戻ってきますように。 明るくなれるリンク 節電の広告 NHKが娯楽コンテンツを解放! 今回の災害であった温かい話 他にも色々見かけましたが、すぐに貼れるのはこの程度なので。 スポンサーサイト
|
色々あったし色々あっただろうけど、死ななかったことに感謝します。
まず生きていることに感謝、いいことだね。
ちゃんと帰ってこいよ。 定演は16日開催は厳しそう。 最悪中止だけど、延期という方向にもっていけるか、まだ解らないです。 |
|
| ホーム |
|